高齢者住宅に必要な要素とは

病気療養と高齢者住宅

高齢者の介護において、「病気の治療」が並行する場合はとても多いものです。高齢になると身体のさまざまな部分が弱ります。そして、何かあっても「治癒」するチカラも弱くなっているためにその症状は長引くのです。高齢だから身体が弱り、身体が弱るから病気が頻発し、その病気によってさらに身体が弱るということになるのです。

老衰とはそういうことです。現代の社会通念では、病気になればそれを「治す」ということが当たり前になっています。ですが医療設備が整っていなかった昔では、病気になったが最後、平静にして自然に治癒するのを待つしかなかったのです。ですから「寿命が短かった」のです。そのような病気は、医療が整っていなかった時代では「50代」から出始めるものでした。50歳にもなれば立派な「老人」だったのです。隠居できたのです。ですが現代では50代はまだまだ社会的にも現役世代です。引退などはまだ先の話で、責任ある仕事をバリバリこなす世代なのです。50代で病気になる確立は、今も昔もそんなに変わらないでしょう。ですが、今では日本ではすべての人が十分な医療を受けることができます。病気になれば、専門家が診てくれるのです。

それは高齢者になっても同じです。私たち国民は「健康的で文化的な暮らし」を行う権利を持っています。その権利は「死ぬまで」持ち続けることになります。これは難しい倫理の問題なのですが、私たちは高齢になり、痴呆になったとしても、その権利を持ち、「それが良い」とされているのです。たとえ本人が「そっとしておいてくれ」と思ったとしても、私たちは治療を受けるのです。本人の意思ではなくても、治療を受けるのです。そのことに対する善悪の議論は、私たちが医療体制を整えてからずっと行われてきたものです。ここでは答えを出せません。

ですが、確実に高齢になれば「病気のリスク」が増すのです。そして、健康的な寝たきり状態などはないに等しいということです。誰もが何かしらの病気を慢性的に併発しているのです。ですから、高齢者の介助は「病気の療養」を兼ねている場合が多く、それらのほとんどは「治らない」、もしくは「一時的にしか好転しない」という類のものでもあるかもしれません。高齢者の介護はそのような病気の数々との戦いです。

身体の限界がどこにあるのかはわかりません。ですが、深刻な病気で外科的な治療が必要な場合、高齢者の場合はリスクが伴います。すべてにおいてハンディキャップがある状態が高齢者です。それでも本人が希望すれば、あるいは希望していなくても、治療は続きます。高齢者の介護は「肉親」が行うことがいいとされています。それは、「無償の奉仕」ができるからです。高齢者の介護には終わりはありません。終わりがあるとすれば、それはお別れのときだけなのです。ですから肉親が行うことが最善です。自分と血がつながっている人、自分を育ててくれた人の介護を行うということが、順当で最善なのです。

私たちはいつか老います。そして必ず「動けなくなる」時がきます。その時に自分がどうするのか、どうされたいのかおぼろげでもいいので考えておきたいものです。その時、そばにいてくれる誰かがいるのかということも重要です。

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